GO BEYOND な 人
竹内智香(タケウチトモカ)
スノーボードアルペン選手
対談インタビュー 1/5
「グローバルWiFi®」サービス開始当初より、海外へ遠征・レースに出場する際はいつもご利用いただいてきたスノーボードアルペンの第一人者、竹内智香選手。 ソチオリンピックでメダルをとるまでのストーリーや、5年間を過ごしたスイスで学んだこと、今あらためて思うご自身の挑戦、そして4年後の平昌五輪に懸ける思いなどを、株式会社ビジョン代表の佐野健一に語っていただきました。
対談インタビュー 1/5
オリンピックに出場するためにスノーボードを選んだ。
佐野:私は子供の頃からサッカーをやっていて、将来サッカー選手になりたかったという時がありました。プロになりたいと思えるだけの競技に巡り合えたというところは大きかったなと思います。
竹内さんは北海道の出身ということもあり、スノーボードに巡り合う機会は意外と早かったのではないでしょうか。スノーボードに巡り合ったきっかけ、本格的に取り組み始めたのは、どんなことがきっかけで、またそれはいつだったのですか。
竹内:実は、好きなスポーツがあって、続けていった先に成績があってオリンピックがありましたって感じではないんです。どちらかというと「オリンピックに出たい」と思ったのが最初で、じゃあどのスポーツならできるんだろうと考えた順なんです。
出場するなら冬種目だろうなっていうのは、ずっと小さいころから思っていました。雪が好きだし、冬スポーツが好きだからと思っていて。
もともとアルペンスキーをやりたいと思っていましたが、両親は、やるなら本当に良い環境でやらせたい、中途半端にはやらせたくない、という考えがあったみたいです。当時は、小学校低学年くらいだったのですが、やらせてもらえませんでした。
そうこうしているうちにスノーボードに出会い、小学校5年生のときに趣味ではじめました。そして、中学2年生のときに、スキーではないけど同じアルペン種目のスノーボードを長野オリンピックで観たとき、「あっ、これでオリンピックにいく!」と思いました。
佐野:最初にオリンピックにでるという目標をたて、その為の手段として種目を選んだんですね。では、そもそもなぜオリンピックに出たいと思ったのは何がきっかけだったのですか
竹内:父親も乗馬でオリンピックを目指していた人で、小さいころからずっとオリンピックの話を聞かされていまいした。
私は、三人兄妹なのですが、一人は実業家・一人は跡継ぎ・一人はオリンピック選手っていつも言われていて、それなら私はオリンピック選手だと思っていました。
そう言われていたので、オリンピックに対して興味を持って観ていました。日本人選手の活躍を観て「凄いな、かっこいいな」とずっと思っていたんです。
佐野:夏のオリンピックに出場するという選択肢もあったと思います。北海道っていう環境もあり自然に冬のスポーツということになったのでしょうか。夏の種目を選ばなかったんですね。
竹内:夏のオリンピックを観ていて、感動することはたくさんあったのですが、やっぱり冬が好きで、雪景色が好きっていうことになりますね。
佐野:2020年、東京オリンピックがありますが、今まさしく幼少期の竹内さんと同じ様な状況にあり、将来オリンピックを目指している子供達がいるわけですよね。竹内さんの活動をそんな皆さんに聞かせたら、ものすごくやる気になるんじゃないかなと思います。
竹内:お話した通り、長野オリンピックは私にとってものすごく影響が大きかったです。テレビでしか観ていないのに日本中が盛りあがっているというのが肌で感じて分かるものでした。
きっと今2020年を目指して頑張っている選手がいては、そして2020年のオリンピックで活躍するのをみせ、それを観た人の中でまた頑張ろうと思う子達がでてくる。
特にこの何大会か(韓国・東京)は、アジア開催の大会が続くので、アジアにとっては凄くいいことだと思います。
GO-BEYONDER No.001
スノーボードアルペン選手
竹内智香
1983年生まれ。北海道旭川市出身。広島ガス株式会社に所属。
小学校の卒業文集に「夢はオリンピック」と記していた。14歳の時に見た長野オリンピックがきっかけで本格的にスノーボード競技を始める。2014年2月のソチオリンピックパラレル大回転では銀メダル。スノーボード競技では日本人女性初のオリンピックメダリストとなり、アルペン種目では1956年・コルティナダンペッツォオリンピックのスキー回転で銀メダルを獲得して以来、58年ぶりの快挙となった。
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