車いすフェンシングは主に下肢障害を対象としたスポーツです。ピストといわれる台の上に車椅子を固定し車いすに座った状態でフェンシングを行います。 第一回のパラリンピックから正式種目で世界ではヨーロッパを中心に人気となっている競技です。 私は、高校時代からフェンシング競技を始め、高校3年時インターハイ出場、大学1年時に学生選手権7位、全日本選手権大会ベスト16の成績を収めましたが、大学2年時に事故に遭い車椅子生活となりました。 車椅子となったときに高校時代の先輩の薦めで車いすフェンシングの存在を知り、パラリンピックという夢を持ち車いすフェンシングを始めました。 私は頚髄損傷という重度障害で車いすフェンシングの選手の中でもっとも障害が重くパラリンピックのメダルどころか出場すら不可能だといわれてきましたが、諦めず競技を続けてきて、競技をはじめて12年目ではじめてパラリンピック出場の夢が叶いました。 東京パラリンピックを終え、次の挑戦として2024年パリパラリンピックでのメダル獲得を目指し活動しています。
GO BEYOND な 人
藤田道宣(フジタミチノブ)
車いすフェンシング選手
私の活動を通じて、同じようにハンディキャップを持った方々に勇気と希望を届けたいと思っています。 私が不慮の事故に遭い生きる希望が見いだせなかった時に出会った車いすフェンシング競技でパラリンピックを目指すという目標が私の生きる活力となりました。 たとえどんな困難があったとしても、夢や目標を持って突き進むことで新しい世界が開けて可能性に満ち溢れているということを知ってほしいです。 競技活動を含めて目標を目指している私の姿を見て一人でも、何かを感じて、一歩前に進める勇気を与えることができれば私の活動に意味があると思っています。 またパラスポーツの活動を通じて、ダイバーシティの促進も同時に目指しています。パラスポーツ自体の認知を広げることで一般の方に障害者の存在をより身近に感じることを実現したいです。 さらに障害という困難があっても、諦めずに限界を乗り越えようとする精神力は人々の心を揺さぶり、パラスポーツから勇気を与える力があると思っています。 競技活動を通じて障害者や様々なマイノリティを持った方の生きやすい社会の実現をパラスポーツという分野から広めていきたいと思っています。
車いすフェンシングにはカテゴリーと呼ばれる障害の等級の区分があり、軽い順にA・B・Cと分かれています。パラリンピックにはA・Bのみで競技が開催され、Cのカテゴリーでは大会が開催されません。 私は頚髄損傷を負っているため本来はカテゴリーCの区分ですが、パラリンピック出場を目指すためあえてカテゴリーBの区分で大会に出場しています。 自分よりも障害の軽い選手に混ざって大会で戦うことは非常に困難ですが、自分の障害という限界を超えて挑戦していることはGO BEYONDといえる活動であると思います。 またこれからパリパラリンピックの出場をかけた大会が開催されていくことにあたって、東京パラリンピックでは存在していた出場国枠というアドバンテージなしの状況で本来よりも軽い区分のカテゴリーBでパラリンピックを再度目指すことは大きな目標であり、超えていきたいと思っているハードルです。 またこのパリパラリンピックで前回東京パラリンピックでは獲得できなかったメダルという大きな目標を超えていきたいと考えています。
GO-BEYONDER No.354
車いすフェンシング選手
藤田道宣
1986年11月22日生まれ。熊本県上天草市出身。 高校からフェンシングを始め、高校3年生の時に全国高校総体に出場。大学1年の時には、全日本学生選手権男子エペ7位、全日本選手権ベスト16の成績を残す。 19歳の時、事故により下半身麻痺となる。 障害を乗り越え2010年の広州アジアパラ競技大会を皮切りに、日本代表選手として国際大会に転戦しはじめ、2021年の東京2020パラリンピック競技大会に出場。2024年のパリパラリンピックでのメダル獲得を目指している。
Instagram:https://www.instagram.com/fujita_wheelchairfencing
受賞歴
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- ・2022年 7月 ワルシャワワールドカップ 金メダル
- ・2021年 8月 東京2020パラリンピック競技大会 出場
- ・2018年 10月 アジアパラ競技大会 銀メダル
- ・2018年 2月 モントリオールワールドカップ 銅メダル