岩手県野田村出身、日本とフィリピンのハーフで、フィリピン国籍も有しており、現在フィリピン代表として2024パリ五輪を目指して活動しております。3人兄弟でフィリピン代表として活動しており、一番上の兄(中野 亨道)がフィリピン柔道代表としてリオ五輪出場を果たしており、現在は双子の弟(修源・経清)が現役、兄がコーチとして3人兄弟で世界大会を回っております。
オリンピック出場に向けて海外遠征を回る中で、国からの支援は非常に乏しくほぼ自費で遠征を回っており、協力して頂ける企業に加え、日本での所属先も探しながら活動している状況になりますが、もう1つの母国フィリピンのためにも、そして同じ境遇を持ったハーフアスリートの未来のためにも色々なバッシングを受けながらも諦めずに夢を追っています。
また、国の代表として戦う中で現地フィリピンのスポーツへの支援がやはり乏しく、将来の可能性があっても金銭面を理由に『目指したくても目指せない』という状況を目の当たりにしてきました。
その中自分らは世界大会を回ると同時にハーフアスリートとして、ハーフの生まれ持った可能性を発信していきたい思いが強くあると共に、ハーフだけでなく、未来ある現地の子達が世界で活躍出来る環境を作る為に尽力して行く事が、今国を背負って活動させてもらっている事への恩返しになるんじゃないかなと思っています。
フィリピン代表としてオリンピックに出場しメダルを獲得するという事が夢であり近い目標にはなるのですが、オリンピックが全てでは無く、ハーフアスリートとして柔道を通して、ハーフとしての可能性を証明したいという想いを常に持ち活動しています。また、活動内容と重なる部分はあるのですが、フィリピンという国の貧困の差は激しく、"やりたくてもできない" "目指したくても目指せない"という現状を身を持って目の当たりにしており、柔道着すらも持てない子ども達も多いのも事実です。小さい活動にはなりますが、現役として活動しながらも日本で使わなくなった柔道着を集めて、フィリピン柔道連盟を通して現地の子どもたちに寄付をする活動や柔道セミナーを行っています。そして将来、フィリピン現地にアカデミーとして箱を構え、託児所代わりに現地の子らや同じ境遇の子らをお預りして、ハーフアスリートが育てた子供たちが、今の自分らと同じ様にオリンピックを目指せる選手を輩出する事が出来たら、国内外問わずハーフに対する目線も今以上に変わるのでは無いかと思っていますし、それこそが今国を背負い戦えている自分らハーフアスリートの使命だと思っています。
2021年のこの夏、ひとつの挑戦が終わりました。
2017年から本格的に東京五輪を目指し、差別やバッシング、厳しい声を見返すべくそれをモチベーションに変え、色んなものを犠牲にし、色んな想いを背負い戦った5年間でしたがあと一歩のところで届きませんでした。リオに出た兄に続こうと、2人が現役で兄がコーチで、オリンピックの畳に自分らが立って、コーチボックスに兄を立たせたくて。それが兄弟3人の夢であり、挑戦でした。
自分に生き、その都度後悔のない選択をしてきたつもりでも、あの時の選択肢は合っていたのだろうか。思いや覚悟は足りていたのだろうか。と自問自答を何度も繰り返してしまいます。しかし、この東京五輪までの挑戦を通して、世界の広さを知り、沢山の事を学びました。
自分自身含め、世界には可能性を生かし境遇をチャンスに変えて頑張ってる人がいるという事。それをもっと知ってもらう為にも、そしてハーフとしての可能性を証明する為にも、新たな挑戦としてパリ五輪を目指します。これまでの自分を超え、パリ五輪に出場しメダルを獲得する、この挑戦が「GO BEYOND.=超えていく」ということだと思います。GO BEYONDERとして、またハーフアスリートとして、日本人としてのプライドも背負いフィリピンの希望となるために共に活動していければと思います。