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GO BEYOND な

特定非営利活動法人ジャパンハート
吉岡秀人(ヨシオカ ヒデト)

最高顧問/ファウンダー/小児外科医 

日本では高齢化が社会課題となっていますが、一方で、同じアジアの国々には満足に医療を受けられず、大人になる前に亡くなってしまう子どもも多くいます。

そんな子どもたちを減らすべく、無償で医療を提供しているのが、特定非営利活動法人ジャパンハートです。

ジャパンハートは2004年に設立し、今年でちょうど15年になります。活動内容はさまざまですが、僕らが最も大切にする活動は、貧困層の子どもに医療を届けることです。

1995年にミャンマーでの医療活動を始め、小児外科を専門としながらも、大人も子どもも関係なく無償で治療を行ってきました。

その活動はジャパンハートにも引き継がれて、ジャパンハートにたどり着きさえすれば無償で治療が受けられる、いわば貧しいミャンマー人の最後の防波堤となっています。また、医療活動はミャンマーのほか、カンボジアやラオス、日本の僻地・離島でも行われています。

2018年は、のべ789名の医療者や学生、社会人が海外での活動に参加しました。医師や看護師など医療者の参加の理由はさまざまです。

今の日本の医療は労働環境を改善しようと物事をシステマティックに回しているために、患者と医療者との人間的なつながりが希薄になっている。患者からの信頼や期待、評価を受け取る機会が減れば、医療者も働くことに疲れてしまいます。

そこで、何のために医療者を目指したのか、医療者になって何をしたかったのかをもう一度確認したいと参加する人も多くいるんです。

そのほか、十分な設備が整っていない環境で医療活動を行うことにより、医療者としての技術力を高めたいという理由で参加する人もいるそう。ジャパンハートの活動は貧困層の子どもを救うだけでなく、医療者にとっては日本の現場を離れることによって、医療に対する思いや技術を見つめ直す機会にもなっているのですね。

僕は、大阪は吹田の生まれなのですが、子どものころ、最寄り駅の地下道では戦争で手足を失った傷痍軍人が物乞いをしていました。 中国では文化大革命が起こって数千万人が餓死し、ベトナムではアメリカ軍がベトナム戦争で枯葉剤を撒き、カンボジアではポルポトが国民の4分の1を虐殺していた。 わずかな時間のずれと、飛行機でわずか数時間の空間のずれが人の運命を左右している。そう思うと、この時空のこの場所に生まれたのは幸運以外の何物でもないなと感じたんです。

そして、「時代背景のせいで辛い思いをしている人の役に立ちたい」という思いを持ち、医師を目指したんです。 医療を受けられない人たちのもとにいつでも行けるよう準備をしながら日本の医療現場で働いていたあるとき、「ミャンマーの子どもたちを助けてくれる医師を探している人たちがいる」と声が掛かりました。

その人たちは、第二次世界大戦の際、ミャンマーで命を落とした何万人もの日本人の遺族の方々でした。 多くの日本人が命を落とした一方、生きて日本に帰った人もいた。それはミャンマーの人々が傷ついた日本兵を介抱し、水や食料を恵んでくれたからなんです。

戦後、遺族会の人たちはミャンマーに行って慰霊を続けていましたが、徐々に年齢を重ね、現地に行くことが難しくなってきた。 その際に、新しい慰霊の形として、「過去にたくさんの命を救ってくれたミャンマーの方への恩返し」として、命を落としている多くのミャンマーの子どもたちを救うことを考えたんです。

カンボジアに病院を設立したとき、世の中の人が本当に「子どもが未来だ」と思うのならこの病院は寄付だけで回るはずだ、世界の善意を信用してみようと思いました。

同じことは、ミャンマーで設立した貧困層の子どもたちを預かって育てる養育施設「Dream Train」にも言えます。しかし、養育施設には多くの子供たちが生活しているため、簡単には閉鎖できません。一度預かった子どもたちを放り出すことはできません。

もし寄付が集まらなければ、自分が働きます。自分の子どもを見捨てないですよね。一度引き取ったからには、見捨てることはありません。そこまでの気持ちでやらなければ、できないんですよ。

「自分のためにやっている」んです。

彼らは大変な状況にある人たちかもしれないけど、医療活動は彼らに頼まれたわけではなく、僕がずけずけと出ていって彼らの治療をしているだけで、彼らは僕のところに来てくれている人たちなんです。

彼らは僕に、自分がこの世に存在する価値を与えてくれているんです。それが自分の幸せになっているから、続けることができるんです。

GO-BEYONDER No.219

最高顧問/ファウンダー/小児外科医 

吉岡秀人

1965年大阪府生まれ。大分大学医学部卒業後、救急病院などで勤務の後、1995年にミャンマーで医療支援を開始。2004年、ジャパンハートを設立し、短期間で誰でも海外の医療支援に参加できるスキームを確立。吉岡は現在も年間700人以上のボランティアと共に、ミャンマー・カンボジア・ラオス・日本での活動を継続している。

著書に『救う力』(廣済堂出版)『飛べない鳥たちへ』(風媒社)『1度きりの人生だから絶対に後悔したくない!だけど、まわりの目が怖くて、なかなか動けない。そんな20代の君が1歩を踏み出す50のコトバ』(すばる舎リンゲージ)など。

ブログ「発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い」

Facebook:https://www.facebook.com/NGOjapanheart/

Twitter:https://twitter.com/japanhearttokyo

Blog:https://japanheart.exblog.jp/

HP:https://www.japanheart.org/

創設者 吉岡秀人のプロフィール

  • 1965年8月
    • 大阪府吹田市生まれ
    • 大分大学医学部を卒業後、大阪、神奈川の救急病院で勤務
  • 1995年~1997年
    • ミャンマーにて医療活動に従事
  • 1997年~2001年
    • 国立岡山病院勤務小児外科医師
  • 2001年~2003年3月
    • 川崎医科大学勤務小児外科講師
  • 2003年4月~現在
    • 再びミャンマーにて医療活動に従事
  • 2004年4月
    • 国際医療ボランティア団体ジャパンハート設立
  • 2017年6月
    • 特定非営利活動法人ジャパンハート最高顧問就任
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