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GO BEYOND な

村岡桃佳(ムラオカモモカ)

スキーヤー

絶対的存在として表彰台の真ん中に立ち、
誰もが認めるトップスキーヤーになる

私は4歳の時に横断性脊髄炎を発症し、車いすでの生活となりました。

もともと外にでることが好きだったので、車いすの生活になった後も、さまざまなスポーツにチャレンジし、小学3年生の時にチェアスキーの体験会に参加したことがきっかけでスキーと出会いました。もともとは年に数回程度スキー体験会に参加し、友達と一緒に滑りを楽しんでいたのですが、当時のコーチに「ナショナルチームの練習に入ってアルペンスキー (競技スキー) のコースを滑ってきてみなよ!」と唐突に言われ、それをきっかけにアルペンスキー競技を始めました。

当初はうまく滑ることができない苛立ちから楽しいと感じることができず、いつも嫌々練習をしていましたが、続けていくうちにだんだん力がついてきて、徐々にうまく滑れるようになったり、タイムが速くなったりすることに喜びと楽しさを見出せるようになりました。そのころにはアルペンスキーの魅力にとりつかれ、アルペンスキーが大好きになっていました。

中学2年生の頃から本格的に競技スキーに取り組むようになり、自然とアルペンスキー (座位) で世界を意識し始めました。世界を舞台に戦える選手になりたいと思いながら練習に日々打ち込みました。それ以降、現在に至るまでパラアルペンスキーを通じ世界大会を転戦しながら障害者スポーツやパラスポーツの認知度向上と魅力の発信に積極的に努めています。

現在の主な競技活動は、4月〜7月は日本国内でフィジカルトレーニングを行い、8月〜11月は欧米や北欧を拠点に雪上トレーニングや技能テストを行なっています。12月〜翌年3月までは雪上トレーニング行い、ワールドカップ、世界選手権などを転戦しながら、一番の目標である4年に一度のパラリンピックで頂点に立つために日々競技力の向上に努めています。

高校2年生の時に初出場をしたソチパラリンピックで最初の種目だったスーパー大回転で途中棄権となってしまい、最終日の大回転で5位入賞となった時、メダルセレモニーで真ん中に掲揚される他国の国旗をみて「次の五輪では真ん中に立つ選手になりたい」と強く思いました。その以前は使用している用具にこだわりなどあまりなかったのですが、ソチ五輪での悔しさからもっと強くなるためにとマシンの追求を始め、フィジカルトレーニングにもこだわるようになりました。

パラアルペンスキーの座位においてはマシンスポーツと言っても過言ではないほどにマシンが重要となり、さらにそのマシンとフィジカルとの一体感によって速さが生まれます。マシン、フィジカルのどちらかが欠けても最高のパフォーマンス、滑りを生み出すことはできないものなのです。初めはトレーニングにおいてもマシンのことに関しても全くわからず、0の状況だったのですが、一から勉強を開始し、勝つために必死に努力し取り組んできました。その結果として今は技術・フィジカル・マシンのそれぞれのバランスが整ってきたように感じます。さらにその整ってきた三角形をもっと大きく出来るように今後も精進していきます。

2014年2月
ソチパラリンピック
大回転5位
回転9位
2015年3月
IPCアルペンスキー世界選手権
滑降2位
大回転3位
2017年3月
IPCアルペンスキー選手権大会
滑降、大回転、スーパー大回転3位
2017年3月
IPCアルペンスキーワールドカップ (白馬村)
スーパー大回転1位、2位
大回転3位
IPCアルペンスキーワールドカップ (韓国)
スーパー大回転、回転2位
滑降、スーパー大回転3位
2018年3月
平昌パラリンピック
大回転1位
滑降、回転2位
スーパー大回転、スーパー複合3位

安定した強さとは何かを追い求め 世界各地でトレーニングを続ける

私の競技人生における最大の目標は「世界のトップといえば村岡桃佳である」と誰からも言われる存在になることです。

2018年3月に開催された平昌パラリンピックでは金メダルを含む5種目全てでメダルを獲得することが出来ましたが、どの種目においても、特に金メダルを獲得したことにおいては予想している人はあまりいませんでした。私が目標としているのはそうではなく「村岡桃佳が1位を獲って当たり前」「きっと次もまた村岡が勝つ」「世界のトップは村岡である」と誰しもが言う、誰からも認められるトップスキーヤーになることです。

もちろん、並大抵の努力では、「誰もが認める選手」、「当たり前だと思えるアスリート」になることはできないことも分かっています。4年に一度のパラリンピックだけではなく2年に一度の世界選手権、毎年開催されるワールドカップでもコンスタントに成績を残し続けなければならないと実感しています。そのために毎年、年間半分以上は海外にて生活し日々トレーニングに励んでいます。シーズンスポーツのため国内だけでは雪上でトレーニング出来る環境もかなり限られているため、夏は南半球、秋・冬は欧米や北欧などへ行き、常に雪を求めて飛び回っています。

これまで私はチームの一番年下として先輩方の背中を追いかけてきましたが、徐々に若手の選手も出てきたこともあり、今では自分が先輩という立場になりました。今後は次世代の選手たちの見本や目標のような存在となれるようにこれまで以上に意識すると共に、私の滑りを見て、存在を知ってくださった方々や私のことを応援してくださる方々にとっての希望や糧のように思っていただけるよう一層の努力をしていくつもりです。

スキーを愛する気持ちが戦い続ける原動力になり、
それが誰かの力になると信じて

アルペンスキーという競技は常に変化する環境の中で行う競技のため、毎回滑るコースも違えばセットも全てが異なります。そのため自己ベスト記録や日本記録などの基準となるようなものが一切ありません。あるのは自分の感覚と滑り終わった時に出る自分自身の記録と相手選手の記録のみです。

世界の強豪選手たちとの戦いではありますが、アルペンスキーは対戦相手と直接対面して競うわけではないのです。自分とどれだけ正面から向き合い、自分の限界を超え、ベストパフォーマンスが出来るかによって勝敗が分かれます。過去の自分、そして今の自分を超え続けることでさらに未来の自分が強くなれるのです。アルペンスキーはそれが顕著に現れる競技です。少しでも気持ちで負けてしまうと、それがすぐに滑りに現れ、減速要素となりタイムにも影響を及ぼします。自分の中にある恐怖心に勝ち続けなければならないということに、辛さを感じることもありますが、その辛さに打ち勝ち、他の選手にも自分自身にも勝てた時の感覚を忘れることが出来ないからこそ、私は何度でも雪上に向かうのだと思います。

そして私は何よりもスキーが大好きです。スキーを楽しむ気持ち、大好きだという想いは競技を続けるうえで最も重要で忘れたくない、忘れてはならないものだと思っています。私の活動や滑りを通して本当にスキーが大好きで楽しくてたまらないという気持ち、大好きだからこそ追求し、好きなことを頑張りたい、好きだからこそ頑張れるのだという気持ちをたくさんの方に伝え、それが誰かの力になれたらいいなと思っています。私がスキーを続けることによって誰かの心に、何か一つでも届けられるものがあったらいいなと思っています。

GO-BEYONDER No.172

スキーヤー

村岡桃佳

1997年3月3日生まれ、埼玉県出身のスキーヤー。競技歴8年。競技カテゴリーはシッティング。4歳の時に横断性脊髄炎を発症し、車いすでの生活となる。幼少期より様々なスポーツを体験し、小学生でスキーに出会い中学生からはアルペンスキーに打ち込むこととなる。2014年、2018年の五輪に出場しメダルを獲得するほか、ワールドカップなどにも出場し、世界で戦い続けている。

Facebook:https://www.facebook.com/momoka.muraoka

Twitter:https://twitter.com/_momoka03_

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