GO BEYOND な 人
本堂杏実(ホンドウアンミ)
アルペンスキーヤー
競技転向したパラアルペンスキーで
平昌パラリンピック出場を目指す
2016年8月からラグビーから競技転向し、日本障害者スキー連盟強化指定選手(次世代育成)として、2018年3月に開催される平昌パラリンピック出場を目指しています。
2017年4月から日本体育大学スキー部に所属しています。「先天性全左手指欠損」という障がいがありましたが、父親の影響で5歳からラグビーを始め、小学4年生で関東ユース、高校3年生で18歳以下の日本選抜に選ばれました。 パラアルペンスキーでは、2017年ワールドカップ大回転4位、ジャパンパラリンピック大回転優勝という成績をあげています。
ラグビーからパラアルペンスキーへの挑戦
パラアスリートとしてではなく、健常者とともにラグビーのほかにも、陸上競技や空手、器械体操といった様々なスポーツをやってきました。日体大へは、「ラグビーで日本一になる」ために進学しました。
パラアスリートとして競技スキーを始めることになったのは、大学関係者を通じてラグビー部から、パラリンピック競技への挑戦を打診されたのがきっかけです。
大学1年の冬に声をかけていただいたときには、「話を聞いてみよう」という程度にしか考えていませんでした。
しばらく経ってから再度お話をいただき、パラリンピック競技の中で陸上も勧められましたが、中学生の頃に完全燃焼した経験があるため断りました。 「スキーはどうか」と尋ねられ、スキーは好きで高校時代にスキー検定2級を取得するなど、慣れ親しんでいることから、パラアルペンスキーに挑戦することが決まりました。
しかし、幼い頃から励んでいたラグビーを簡単に裏切ることができず、平昌パラリンピックを目指すことは、大学2年の春の段階ではまだ迷いがあったのです。
大学2年の夏に、急遽健常者のチームのニュージーランド遠征へ行くこととなり、パラアルペンスキーを始めることになりました。
これまでファミリースキー程度の経験しかなく、初めてブーツやレース時に着るワンピースなどを身にまとい競技用の板を履いたため、3週間の遠征の間は最初は何がなんだかわかりませんでしたが、ただがむしゃらにコーチが指示するように滑っていた記憶があります。 この遠征のときにも、まだ迷っていました。
10月に入って、初めてパラアルペンスキーチームの方々と出会い、一緒に合宿をしました。 私は「競技転向をしたばかりで、パラアルペンスキーのことを何も知らない下手な私なんかで、大丈夫なのだろうか。」と、不安に思っていました。
しかし、みなさんが温かく迎え入れてくれ、コーチの方々も一つ一つ基礎から丁寧に教えてくださいました。 パラアルペンスキーのレベルの高さを実感したとともに、今まで触れ合うことのなかった自分以外の障がいを持つアスリートと出会うことができました。
今まで健常者とともに競技に向かい、障がい者として扱われることのなかった自分が初めて、「私はここにいてよい存在なんだ。」と実感することができたのです。
そして、初めて「本気で平昌パラリンピックを目指そう!絶対に出場してみせよう!」という決心がつきました。 ラグビーへ対する思いも当然ありましたが、それ以上に平昌パラリンピックへの夢や期待、希望などが溢れてきたのです。
平昌パラリンピックへ競技歴1年半の挑戦
パラアルペンスキーは、日本人の女性選手は片手で数えられる程度で、海外の選手を合わせても100人もいないほど。世界的にもあまり知られていないスポーツです。
日本で開催される大会は年1回のジャパンパラリンピックのみのため、パラリンピックやワールドカップ、世界選手権などの出場権を得るには海外で行われる数少ないレースに参加し、ポイントを獲得しなければなりません。
2016年11月に、障がいの度合いによるクラスを決めるためのクラシフィケーションに参加し、クラスが確定しました。 本格的にパラアルペンスキーヤーとしてレースに出場できるようになり、12月には回転、大回転、スーパー大回転と技術系から高速系までのレースに出場しています。 2017年2月に出場したヨーロッパカップでは、大回転で初の表彰台となる3位入賞を果たしました。
今までは話をすることのなかった他国の選手に声をかけてもらい、外国語が話せないなりにコミュニケーションをとることができたので、初めてやっとスタートラインに立てた気がした経験となっています。
3月に日本で行われた白馬ワールドカップでは、今まで一緒にレースに出ることのなかったトップ選手と滑ったことでレベルの差を感じて、人よりも2倍、3倍と努力をしなければいけないことを実感しました。
その後、ヨーロッパや南半球で英語に苦戦しながら、強化合宿やレース転戦をしながら生活をし、オフシーズンは6月のみで、2017年7月からはオーストリアの氷河で合宿を始めています。
競技歴1年半の挑戦ではありますが、ラグビーで培った脚力や体幹、精神力などをアルペンスキーでも最大限に生かし、ポイントを獲得していき、平昌パラリンピックの出場権を得たいと考えています。
また、平昌パラリンピックの4年後の北京パラリンピックではメダル獲得を目指したいです。 そして、今までパラアルペンスキー立位女子で成し遂げることのできなかった、金メダルを獲得できる日が来るよう、何事にも屈せず、後ろは向かずに前だけを向いて、一歩ずつ進んで行きたいと思っています。
GO-BEYONDER No.122
アルペンスキーヤー
本堂杏実
1997年、埼玉県生まれ、日本体育大学スキー部所属。「先天性全左手指欠損」の障がいを持つアルペンスキーヤー。5才から健常者とともにラグビーを始め、小学4年生のときに関東ユース、高校3年生のときに18歳以下の日本選抜に選出される。大学2年生の2016年8月にパラアルペンスキーに競技転向し、2016年のヨーロッパカップ大回転では初の表彰台となる3位に入り、2017年ジャパンパラリンピック大回転では優勝した。
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