GO BEYOND な 人
佐藤敏基(サトウトシキ)
アメリカンフットボール選手
プロコーチからの誘いで、NFL挑戦の扉を開いた
早稲田大学のアメリカンフットボール部でキッカーとして活動し、卒業後、最初の4ヶ月は周囲と同じように会社とアメリカンフットボールを両立していました。
同年の6月にはアメリカから来日した、コーチであり元NFLのキッカーでもあるマイケル・ハステッド氏と出会うことができました。
その彼から「仕事を辞めてアメリカの私の元でプロを目指さないか」と誘っていただきました。
実はアメリカへの渡航を誘われる前、大学時代に「NFLに挑戦したらどうなるのだろう」と考えたことがありました。しかし自分の挑戦以前に、就職して親を安心させることが第一だと思っていたので、その時はNFLを目指すことに真剣さはありませんでした。
しかし今回のように、日本人でこのような機会をいただけること自体が大変貴重なんです。
自分にとって良い環境で挑戦できるチャンスをいただいたのですから、思い切って仕事を辞め、アメフト1本でNFLに挑戦することに決めました。もし私がNFLリーグに参加することができれば日本人初のNFL選手になります。
NFLのトライアウトで結果を出し、スカウトに認めさせる
現在は、1年のうちの半年あまりをアメリカのカリフォルニア州サンディエゴで過ごし、修業に励む日々です。
コーチはNFLで9年間、キッカーとして活躍されたプレーヤーで、コーチとしてもNFL選手を何人も輩出しているほど腕のたつ方です。彼の名声を聞きつけて、大学生や既卒生のキッカーが、NFLを目指して彼の元に集まってきています。
当面の目標は、毎年冬から春にかけて行われるNFLのトライアウトで結果を出し、スカウトに認めてもらうことです。
しかしアメリカ人と同じ実力があっても、言語やビザの関係を考えると、彼らよりも頭一つ飛びぬけた印象をスカウトに与えなければ彼らの印象には残らないでしょう。
ですから、海外選手にはない良さを持つ日本人らしい自分、自分らしい自分をいかに実力があるところを披露できるかが大切です。
日本ではキック力で勝負できていましたが、アメリカでは外国人選手と比べ物にならないほど「何でもない」力でしかありませんでした。
では彼らと何で勝負するか。例えばメンタル面で勝負する。または、日本人ならではの丁寧さ、細部へのこだわりなども素晴らしい能力だと思っています。
逆に今自分に足りないのはキックオフの飛距離です。コーチからも飛距離を伸ばせと言われているので、強化していきたいです。
日本人初のNFLプレーヤーになる
アメリカでも実力あるコーチと出会えたのは、過去にキッカーとしてNFLを目指してきた先輩方が、コーチとのコネクションを作ってくださったおかげです。
そんな先輩方から託された夢を自分が何としても実現させなくては。そんな風に使命感をもって練習しています。また、私よりも下の世代の選手がNFLに挑戦する道筋も作っていきたいです。
激しい体のぶつかり合いが特徴のアメリカンフットボールにおいて、体格やパワーがプレーヤーの良しあしに結びつく面もあります。
私たち日本人からすれば、スポーツの特性上、外国選手の方が断然強くプレーも優れており、日本人は敵わないと思い込んでしまう節がありますが、実際はプレーヤー全員が飛びぬけて優れているわけではありません。ですから日本人にもチャンスはあると思っています。
例えば体格は人並みだが司令塔としての能力は素晴らしかったり、タックルは苦手でもチームメイトの中で一番足が速いなど、様々な能力にあったポジションが与えられるのもアメリカンフットボールの素晴らしいポイントです。
中でもキッカーは、体格やパワーの能力差に左右されないポジションなので、日本人も挑戦しやすいと思っています。またタフな精神が必要とされるため、日本人特有のメンタリティの強さは、外国人プレーヤーと対等に勝負できる鍵だと思っています。
アメリカでは、日本人もアメリカンフットボールをすることがあまり知られていません。ですから、トライアウトで私の順番になった時、本当に蹴ることができるのか、物珍しそうな視線を感じることがありました。
しかし私が良いキックをすると周囲の見る目が変わり、向こうから話しかけてくれるようになりました。
未だかつて日本人が誰一人なしえなかったNFLリーグへの参加を目指して、日々挑戦し続けていきます。
GO-BEYONDER No.111
アメリカンフットボール選手
佐藤敏基
1993年神奈川県生まれ。高校3年生からアメリカンフットボールのキッカーを始め、早稲田大学入学後は同大学のアメリカンフットボール部に所属。大学時代は長距離キッカーとしてチームを支えた。大学卒業後は野村不動産に入社。現在はNFLのチームに加入すべく、アメリカで挑戦中。