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GO BEYOND な

八木名恵(ヤギナエ)

ヤギナエ

日本人初の
アイスクライミングワールドカップ。

私は幼い頃より、山登りやクライミングに触れる機会があり、17歳からスポーツクライミングをはじめました。高校時代の2001年第6回近畿高校クライミング大会では優勝、翌年のアジアユース選手権でも3位入賞という成績を収めています。今のアイスクライミングへと移行していったのは、2009年のこと。私の中では、競技をしながら生き、食べていくにはどうすればいいか。自分がトップに立てる場所はどこなのか。そう考え行き着いた先がアイスクライミングでした。 大学を卒業した後は、株式会社マルハンに所属し、日本初実業団のクライマーとして、2013年シーズンよりプロの道を歩んでいます。さらに、日本人では初となるアイスクライミングのワールドカップ全戦に挑戦しています。

2011年
Ice Climbing World Cup Cheonsong 15位
2013年
Ice Climbing World Tour 年間ランキング 18位
2014年
Ice Climbing World Tour スピード部門 総合 10位
ソチ五輪クライミングフェスタ出場
2015年
プレジャパンカップ 優勝

日本から世界、世界から日本へ、不可能を可能にすること。

日本のスポーツクライミング界において、日本人が活躍するということが増えてきました。一方、私が競技を行っているアイスクライミングは、日本での競技人口が少なく、まだまだマイナーな競技です。正直なところ、ワールドカップ全戦に出場して、表彰台に上がるというのは長い道のりのように感じています。

しかし、だからこそ、スポーツクライミングでは、ワールドカップ全戦で戦えて、アイスクライミングではできないというのを覆したいのです。そこにこそ頑張れる原動力があります。

だからこそ、日本人でたった1人であってもワールドカップに出場し、海外にこだわっています。

世界を見ることによって、日本のアイスクライミング界に、発展や何かしらの恩返しができればというのが、私の願いです。

国境や人種を越えた競技を通してのホスピタリティ。

アイスクライミングという部門において、日本人1人でワールドカップを転戦していると、さまざまなトラブルに巻き込まれることもあります。実際に、盗難被害にあったり、レンタカーが故障したりすることもありました。また、寒い地域で行われるアイスクライミングでは、不自由な言語に苦悩することも少なくありません。しかし、何度も海外遠征を重ねるようになると、「元気かい?」「久しぶりだね」と海外の選手やスタッフに声をかけられるようになりました。この言葉に安堵し、幾度心を救われたことでしょう。

アイスクライミングという競技に関わって感じたのは、ホスピタリティです。競技中は真剣そのものですが、ひとたび競技の時間を離れるとみんながファミリーのような雰囲気があります。そんな中で、海外のクライマーたちに技術面や道具、若手の育成などさまざまなことを学ぶ機会もありました。アイスクライミングという競技は、人種や国境、文化を超えて、みんなが大切にしていこうと考えているのだと感じた瞬間です。同時に、こうしたホスピタリティに感謝の思いもあります。

そんなアイスクライミングに携わっていく中で、私自身、日本代表としての自覚が芽生え、日本の良さに自信を持てるようになっていきました。アイスクライミングはまだまだマイナー競技で、決して環境の良い中過ごせる訳ではありません。ですがこうした逆境があるからこそ、助け合いの精神が生まれますし、私自身も成長し、限界を超えていくことができました。そして、家族や友人、ライバル、そしてスポンサーの方やスタッフの方、ファンの方など数々の応援が私自身にとっては大きなエネルギーとなっています。謙虚でいること、感謝の気持ちを忘れずに期待を超えて挑戦し続けることが、今の私の最大のパフォーマンスだと思っています。

GO-BEYONDER No.066

ヤギナエ

八木名恵

1984年、大阪府に生まれる。幼少期より登山やクライミングに親しみ、2009年より徐々にアイスクライミングへと舞台を移していく。日本人としてはじめてアイスクライミングのワールドカップに出場し、世界への挑戦を続けている。

Facebook:https://www.facebook.com/nae.yagi

Twitter:https://twitter.com/nae_yagi

HP:http://rockandwall.jp/nae.php

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