GO BEYOND な 人
和田賢一(ワダケンイチ)
ライフセーバー/ビーチフラッグス
挫折の末に辿り着いた“命を守る”という競技。
幼い頃からの夢だった「プロ野球選手になる」こと。しかし「Yips」になり、高校生で夢を諦めざるをえませんでした。その目標を失いましたが、自分の可能性を探してもがき続け、テニスやサーフィン、総合格闘技、ダブルダッチなどに取組みました。その末に偶然出合ったのが、命を守るために作られた競技・ビーチフラッグスでした。経験ゼロからのスタートは厳しいものでしたが、海外に移住しシンプルな暮らしの中で自分と向きあい、置かれている環境の中で異文化や価値観を学びながら、競技を始めてからわずか約4年半で、全豪選手権で銀メダルを獲得することができました。これからも日本人男子として、ビーチフラッグスで最高の記録を残していきたいと思っています。
夢を失い、再び夢を得た喜びを胸にビーチフラッグスに打ち込む。
大学時代、がむしゃらに夢を探し続けた末に出合ったのが命を守るためにつくられた競技・ビーチフラッグスでした。人の命のために力を尽くすというライフセービング精神とビーチフラッグスという競技に心惹かれ、もう一度夢を追いかけたい、再度挑戦したい、という強い感情の赴くままに、新しい夢と向き合う決心をしました。
それからというもの、仕事の空き時間を見つけては公園の砂場で毎日100回ずつ反復練習を行い、10万回を超える頃にはビーチフラッグスの全日本選手権で優勝することができました。しかし私の目指すところはそこになく、世界最高の選手として名高いサイモン・ハリス選手を超えることでした。そのために、世界チャンピオンの住むオーストラリア・ゴールドコーストに移り住み、彼と同じ環境のもとで世界一になるためのトレーニングを行うことにしました。当時の私は英語の読み書きはもとよりヒアリングも満足にできない状況でしたが、夢のために厳しい環境に身を置くことはやぶさかではありませんでした。寿司屋でアルバイトをしながら半年間の研究と練習の日々を乗り越え、行き着いた先は2014年全豪選手権での銀メダル獲得。届かなかった世界一を今度こそ手中に収めるには走力を向上させることが不可欠でした。そこで世界のあらゆる陸上チームにかけあって合同練習を申し込んだところ、最終的に私の夢を受け入れてくれたのが、短距離走で世界一の足を持つウサイン・ボルト選手が所属するジャマイカのチームだったのです。
2014年11月からは彼のチームと合流し、陸上界で最も厳しいと言われる練習に死に物狂いで臨み、チームで唯一、3ヶ月間1日も休まずにトレーニングメニューを完遂することができました。その姿勢を支持いただいたのか、ジャマイカのチームメイトにも認められ、ウサイン・ボルト選手の自宅にも招いてくださいました。その時の思い出は今の私の礎になっています。
そして2015年。エネルギーを通じて子どもたちに希望のある未来をつくりたいと願うエネルギーバンク株式会社が私の想いに共感くださり、スポンサー契約を締結するに至り、晴れて私はプロスポーツ選手になることができました。しかし、同年に開催された全豪選手権では予選敗退という不本意な成績に終わってしまいました。それでも私にできることは今の自分を超えることだけ。今年、2016年に開催される全豪選手権、世界選手権に向けて、日本人男子の快挙を目指して全力で走り続けていきます。
己の限界を超えていくこと。
海外に住んでいると、自然と身についた母国での固定観念や常識が通用しない場面に遭遇することがあります。それは自ずと自身の競技や人間的な可能性も狭めていっているように感じられます。海外での挑戦は、まさにそのイメージを覆すこと、自分自身の精神と肉体の限界に挑むきっかけになると感じています。
GO-BEYONDER No.050
ライフセーバー/ビーチフラッグス
和田賢一
1987年、東京都生まれ。小学校時代からプロ野球選手を夢見て野球に打ち込むものの、精神面からくる送球障害により挫折。。その後テニスやサーフィン、ダブルダッチなど様々なスポーツ競技を経て、ライフセービング競技のビーチフラッグスと運命的な出会いを果たす。世界最速のスタート技術を持つアスリートに弟子入りした後、世界大会インタークラブアジア人初の銀メダルを獲得。現在は2016年の世界大会を目指しトレーニングを重ねている。
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