GO BEYOND な 人
片山貴信(カタヤマタカノブ)
登山家
「氷点下の澄んだ空気の中にある景色に言葉を失う」元バイクレーサーの新たな挑戦。
兵庫県姫路市出身のハンデを持つ登山家です。国内の山々で経験を積みながら、次なる目標として、南米エクアドルにある4つの山への挑戦を予定しています。ハンデを持つ私にとって、登山は楽なスポーツではありません。しかし、ハンデを理由に諦めたくないという強い思いを胸に、過酷な縦走路を踏破したり、標高の高い山に登ったり、低酸素室でトレーニングを積んでいます。
「困難があっても諦めない」目標は達成できる。
私が障がいを負ったのは、バイクでの単身事故が原因でした。その事故が起きたのは、1994年、私が19歳の時です。事故から10日後には奇跡的に意識を取り戻したものの、主治医の言葉に絶望しました。「左上半身は二度と動かない、右下半身は感覚こそ戻るものの、曲げられない」と言われたのです。当時は現実を受け止めきれず、否定的で、生きる活力のない毎日でした。
そんな私を変えたのは、様々な人との出会い・気付きでした。特に印象に残っているのが、病院にいた小学生の男の子と医師のやりとりです。
その男の子は事故で膝の皿を失っていたのですが、彼はこれから先の人生に向けて、足が曲がったままか、まっすぐのびたままか、どちらかを選ばなければなりませんでした。医師にどちらが良いか尋ねられた時、男の子は笑顔でまっすぐのびたままの足を選びました。その理由が「走れるから」だったのです。その様子を見て、私は10歳の小学生に教えられました。辛い現実を受け止めて、その中でも最善の方法を選んで今を生きるというのは、こういうことなのではないか?と。
そこから私は変わりました。まずは腕を治そうと思い、行動を起こしたのです。針で左腕を刺し、わずかに残っている感覚を刺激すること8カ月、左手の小指にほんのわずかな感覚が感じられました。続いて、薬指、中指、人差し指、親指と順に感覚が戻り、少しずつ動き出したのです。過酷なリハビリに耐え、手術を繰り返すこと3年。障がい者であることは変わりませんが、バイクレースに復帰することができたのです。
私はその時2つの目標を立てました。それは、バイクレースで表彰台に立つこと、そして雑誌で特集(カラー2ページ以上)されることです。レース復帰から7年たった2004年、私は2つの目標を同時に達成することが出来ました。目標達成を機にバイクレースは引退。山と海に親しむ生活を始めました。
腰の骨を左腕に移植したり、骨を削ったりと毎年手術を繰り返している私にとって、登山は簡単なスポーツではありません。しかし、苦しい工程を乗り越えたあとに得られる達成感・充実感はバイクレースに似ています。
登山を続け、自分の限界へ挑戦し続けるうちに、日本には無い標高の山に挑戦してみたいと思うようになりました。それは、エクアドルにある6,000m級の山です。
・世界一高い山(チンボラソ:6,310m)
・世界一高い活火山(コトパクシ:5,898m※)
・赤道上で一番高い山(カヤンベ:5,790m)
※コトパクシは8月に噴火したため、現地の状況に併せて挑戦する山をイリニサ・ノルテ(5,126m)とイリニサ・スル(5,248m)に変更いたします。
「内に潜む感情の壁を超えていく」苦しさを乗り越えた先にあるもの。
登山で私が最も乗り越えなければならないモノは、氷河や低酸素などの厳しい自然環境ではありません。自分の内側に潜む感情です。怖い、辛い、孤独感…といった、さまざまな感情の壁を「超えていく」ことこそ、最も達成に必要なモノです。
様々な出会いが私を助けてくれました。これらの出会いがなければ、何も行動を起こさずに過ごしていたと思います。今の充実した人生もなかったかもしれません。しかし、私の「治らない。二度と動かない」と言われた腕は、動くようになりました。そんな私の挑戦する姿が、本気で動き出せば必ず何かが変わるということを証明し、同じように行き詰っている人たちにも希望を与えられると信じています。
海外で活動を行った実績がない私の挑戦物語「GO BEYOND.=超えていく」が間もなく始まります。私が超えていく姿をご覧ください。応援よろしくお願いします。
GO-BEYONDER No.032
登山家
片山貴信
1974年、兵庫県姫路市生まれ。19歳の時にバイクで単独事故を起こし、意識不明の重体になるも、奇跡的に意識を取り戻した。主治医から「左上半身の回復は望めず、右下半身の感覚は戻るが曲がらない」と告知を受けながらも、必死のリハビリと度重なる手術により、バイクレースに復活。事故から10年後、見事表彰台に立つとともにレースから引退。現在は低酸素室でのトレーニングを行いながら、国内外問わず、様々な山へ挑戦している。