GO BEYOND な 人
桜井雄馬(サクライユウマ)
ショートトラックスピードスケート選手
「世界で戦えるスピードを」
大阪出身のショートトラックスピードスケート選手です。ショートトラックスピードスケートのシーズンは10月から3月まで。シーズン中に日本代表選考が2回行われ、見事日本代表となった選手がW杯と世界選手権に出場できます。シーズンオフの4月~9月の間は、シーズン開幕に向けてトレーニングを重ねています。
「世界で戦えるスピードを」トレーニングを積み重ね世界を目指す。
ショートトラックスピードスケートを始めたのは、小学校3年生(10歳)の時。妹とスケート教室に通い始めたことがきっかけです。フィギュア選手を対象とした教室でしたが、スピード感や駆け引きが楽しく、どんどんスピードスケートにのめりこんでいきました。次第に日本選手権でも結果を出せるようになり、ついには日本代表に選出されるようにもなりました。しかし、世界の壁が私の前に立ちはだかっています。ショートトラックスピードスケートは、海外の選手が非常に強い種目で、世界選手権ではなかなか上位に食い込めません。私の自己ベストは、2011年に開催されたワールドカップソルトレイク大会1500mでの5位です。これを超えるため、W杯でのメダル獲得を最初の目標としています。
世界で戦えるスピードを身に着けるため、2015年の7・8月は、ナショナルチームのカナダ合宿に参加しました。カナダのアルバータ州カルガリー大学には、世界で最もスピードが出ると言われているスケート競技場(オリンピックオーバル)があります。カルガリーで世界と戦えるスピードを身に着けるべくトレーニングを行いました。これからも目標に近づくための努力を重ねていきます。
自分の限界を、ネガティブな感情を超えていく。
ショートトラックスピードスケートの練習量が世界一とも言われる韓国。もちろん、技術力もトップレベルです。そんな韓国の韓国体育大学の練習に、一人で参加したことがあります。韓国の練習に食らいついてレベルアップしたいと考えていたため、日本で指導いただいている監督に自ら願い出て、単身韓国へ渡ったのです。
2012年の6月から9月までの4ヶ月間と短い期間でしたが、厳しい練習に何度も「もうついていけない」と思うことがありました。そんな時私の心がくじけ、少しずつ集団から離れていきそうになるたびにコーチが私の名前を大声で呼び、叱咤激励してくださいました。当時の私は練習に必死で、韓国語もほとんどできませんでしたが、コーチは私を応援してくれているということは、明確に理解できました。そして、練習後にはほめてくださいました。私自身「あきらめずに頑張って良かった」と思ったことを今でも覚えています。くじけそうになるたびにコーチのおかげで持ち直し、なんとか練習に食らいついていけました。必死に練習する私に対し、積極的に指導してくださったコーチにはとても感謝しています。韓国での厳しい練習が自信と成果につながり、帰国後は日本代表に選出されました。そして、シーズン最初のW杯ソルトレイク(アメリカ)大会の1500mで自己最高の5位になれました。
この経験を通じ、私は自分の中で勝手に限界を設定していたことに気づきました。自分の中で設定されていた限界は、限界ではなかったのです。「もう無理だ」「もうやめたい」「これ以上ついていけない」、そんなネガティブな感情を壊してくれる、厳しい環境に飛び込んだからこそ得ることが出来た気づきでした。おかげで私は、自分の限界とネガティブな感情を超え、新しい結果を出せたのです。
韓国語も必死に覚え、文化の違う国の選手とも交流し色んなやり方で情報を得るようにしました。このような機会に恵まれた事自体感謝しています。これからもその経験を活かし、そして日々精進し挑戦して行きたいと思います。
GO-BEYONDER No.015
ショートトラックスピードスケート選手
桜井雄馬
1987年、大阪府生まれ。小学校3年生からスケートを始め、スピードスケートの魅力に取りつかれていく。スピードスケートショートトラック歴は18年全日本選手権、世界選手権、W杯などで着実に実績を積み上げている。現在は大阪シーリング印刷株式会社に所属。更なる成果をめざし、日々トレーニングに励んでいる。