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GO BEYOND な

芝原仁一郎(シバハラジンイチロウ)

ブルライダー

8秒の戦いはスポーツでありエンターテイメント
ロデオの魅力を世界に伝える

「ブルライディング」とは、ロデオ競技の中のひとつです。ロデオと聞いたところで日本では馴染みのない競技のため、どのようなスポーツか知っている方は少ないと思いますが、アメリカではプロ・スポーツとしてその地位を確立している人気競技です。

元々は、カウボーイたちの仕事場である牧場での作業から生まれた競技でしたが、時を経てスポーツ化され、暴れ馬に鞍を付けて乗る競技 (サドル・ブロンコ・ライデイング) や、子牛に投げ縄をかける競技 (タイ・ダウン・ローピング) など、PRCA (Professional Rodeo Cowboys Association=プロ・ロデオ・カウボーイ協会) には7つの競技がプロの種目として認定されています。

私が取り組んでいるブルライディングは暴れ牛に乗る競技です。ブル (去勢されていない雄牛) に巻いたブルロープを片手で握り、もう一方の片手でバランスを取りながら、暴れ牛を乗りこなします。乗る時間は、わずか8秒。おそらく多くの方が長い時間乗っていれば勝者と思われているかとは思いますが、実は乗っていなければならない時間はわずか8秒なのです。その8秒間の牛の暴れ具合をジャッジが採点し、満点が50点。暴れまわる牛に対して、カウボーイがどれだけバランスよく、姿勢を保ちながらうまく乗りこなしたかが同じようにジャッジにより採点され、こちらも満点が50点。合計100点満点のうち、何点かで勝負が決まります。そして年間に獲得した賞金の合計額によってプロ・ロデオ・カウボーイとしての資格が与えられます。8秒乗らないと採点の対象とはならないので、極端な話、1秒で落ちても、7.9秒で落ちても失格。もちろん賞金ももらえません。

私はこの競技に取りつかれて20数年が経ちました。2008年に賞金を稼ぎプロの資格を得て、2009年がRookie yearでしたが、この9年間賞金を稼げていません。PRCAでの1勝が私の目標です。

1995年10月
カナダのアルバータ州オールズ・カレッジでロデオ・スクールに通いブルライディングを始める
2001年8月
カリフォルニア州サクラメントでのカリフォルニア・ステイト・フェアで2位
2003年6月
カナダのアルバータ州イニスフィルで出場したアマチュア大会で優勝
2006年3月
アメリカの全米プロロデオ協会 (PRCA) のPermitを取得
2008年8月
ユタ州コールドヴィルのPRCAロデオ2位
規定の賞金額1000ドルを獲得、PRCAのCardを取得
2014年12月
このシーズンを終え、一度競技より退く
2016年6月
ロデオに復帰 現在に至る

真のカウボーイに憧れて、本場アメリカへ挑戦

この競技に私が興味をもったのは90年代前半に日本で起きた空前のアメカジ・ブームがきっかけになっています。アメリカのファッションが多くのメディアで取り上げられ、その中でもカウボーイのスタイルに私は憧れました。実は当時見た映画にも大きく影響を受けており、クリント・イーストウッド主演のアカデミー賞受賞作『許されざる者』は、私の大好きな作品の一つです。

漠然としたカウボーイというイメージでは納得ができず「本物のカウボーイに会いたい」と思いたち、1994年に一人でアメリカのテキサス州ダラスへ旅に出ました。そこで初めてロデオと出会いました。ロデオを間近で見たときの感想は、「乗る必要のない牛に、なぜ人が乗るのだろう?」というものであり、あまりの迫力と衝撃に言葉を失いましたが、「こんな激しくて面白そうなスポーツは見たことがない!これは、やってみないことには、なぜ人が牛にのるのかという疑問に対する回答はみつからない!」と感じました。そして何よりも、とにかくカウボーイたちがカッコよかったことがブルライディングを始めるきっかけになりました。

その翌の1995年にカナダにワーキング・ホリデー・ビザで渡り、牧場に滞在しながらカウボーイのもとで働くこととなりました。いよいよここで憧れのロデオを始めることになります。ブルライディングを始めたころ、私にはそれほど大きな目標はありませんでした。ただ、8秒乗るのが難しく乗るたびに2秒くらいで振り落とされたので、とにかくどんな牛でも、それこそ練習用の優しい牛でもいいから8秒乗ることが当初の目標でした。そのたった8秒のために、20代から30代にかけては、日本でアルバイトをしてお金を貯めて、カナダやアメリカへ渡り、滞在できる可能な限りの日数だけ滞在しながらロデオ・スクールや練習会やアマチュアのロデオ競技会に参加しました。2001年、アメリカカリフォルニア州のサクラメントでのアマチュアのロデオ大会で2位に入りました。

私のブルライダーとしての転機は2003年でした。同じくカリフォルニア州の14日間における合宿で鍛えられ、そのあとカナダに戻って、アルバータ州のイニスフェイルでのロデオで優勝しました。その時に授けられたバックルが私の称号です。

その次の目標は、PRCAでプロの資格「Card」を取得することでした。2008年、ユタ州コールドヴィルでのPRCAロデオで2位に入り、既定の賞金額をクリアできたので、この時プロの資格を得ることができました。当時私は37歳でした。

一勝の先の景色を追い求めて復帰、新たな決意で再び世界へ

その後2014年にこの競技を引退することを決めましたが、PRCAで1勝するという大きな目標をあきらめきれず、この目標の達成のために再び2016年に競技に復帰しました。

私は今、47歳です。

日本には無いスポーツで、しかもその起源はアメリカにある。とすれば、やはり日本にいてはどうにもならない。行かなきゃ!というのが本場アメリカへ渡りチャレンジをした最初の理由です。「カナダでもロデオの盛んなアルバータ州や、本場のアメリカ中西部に行かなくてはなにも学べない」そう考えていました。英語は話せない。けれどもロデオがしたい!という強い思いだけで、ここまで進んでくることができました。この競技は、危険と隣り合わせでスリルがあり、最高に楽しく、そしてとても変わっています。アメリカという国の文化的な側面があり、これだけテクノロジーが進歩したこの時代でも、西部開拓時代の面影を残しつつ、スポーツ・エンターテインメントとして昇華しています。だからこそ、現代でも多くの人の心を魅了し、多くのファンに愛されています。このロデオの世界に、これだけ深く足を踏み入れた日本人は、恐らく私が初めてだろうと思います。このアメリカで生まれたロデオを続けるにあたって、日本で競技を続けようという選択肢は、私には無かったのです。

やりたいことが明確であり、一つの目標をクリアすることで、その次の目標が生まれ、更にそれを達成しようとする意欲が前進する力となって、自分を突き動かしていく。競技者はこの循環の中で成長し、高みを目指していくのだと私は考えています。その先に何があるのかを知るには、続けるしかないのです。「途中でやめてしまっては、見える景色はそこまでだ」いつでもそのマインドをもち邁進していきたいと思います。

GO-BEYONDER No.168

ブルライダー

芝原仁一郎

1971年3月1日生まれ。日本初のプロロデオ選手。23歳で訪れたアメリカで見た本場のブルライディングに衝撃を受け、自身も競技に取り組むことを決意する。2008年に獲得賞金規定を突破しプロロデオ選手に。2014年に一度現役を引退するも、PRCA (プロ・ロデオ・カウボーイ協会) での一勝の夢を追いかけ2016年に復帰し、現在も活動を続けている。

Facebook:https://www.facebook.com/Shibahara-Jinichiro-447399818679927/

HP:http://www.jinichiro.com

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