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GO BEYOND な

池田信太郎(イケダシンタロウ)

元バドミントン選手

プロバドミントン選手としてバドミントン界を『牽引し続けたプレーヤー』。

男子ダブルスで世界選手権3位、2度のオリンピック出場と男子バドミントン界を牽引し続け、さらに自分を超えるため、世界への挑戦を続けた『池田信太郎』。

バドミントンを通して、世界を舞台に戦うために日々過酷な練習に励みました。
バドミントンは、東南アジアのインドネシア、マレーシアでは国技とされる競技です。中国や韓国、そして日本、ヨーロッパではドイツやデンマークが強豪国とされています。世界バドミントン協会(BWF)主催のワールドツアーが年間で12大会あり、この大会への出場をかけてサテライト大会が年間を通じて世界各地で開催。特に、オリンピックイヤーの1年前からは、オリンピックレースといわれる過酷な出場権争いが繰り広げられ、年間成績であるワールドランキングで出場権が決まります。オリンピックに出場するためには、必然的に主戦場は海外となり、異国の地でいかに自分の力を発揮し、ポイントを獲得できるかという勝負になる厳しい世界です。

福岡県で生まれ、2015年でバドミントン歴は30年になります。筑波大学を卒業後は、日本ユニシスに所属していました。2005年に日本ユニシスの坂本修一とのペアで日本代表入りを果たして以降、世界の表舞台での活動が始まりました。2007年8月にマレーシア・クアラルンプールで開かれた世界選手権では、男子ダブルスで日本男子初となる銅メダルを獲得。翌年の2008年3月の全英オープンでも、男子ダブルスで3位入賞を果たし、日本男子としては21年ぶりとなる快挙でした。同年8月には北京オリンピックに出場しましたが、初戦敗退という結果に終わりました。2009年4月からは、潮田玲子とペアを組み、「イケシオ」としての活動が始まりました。9月に行われた国内デビュー戦となる全日本社会人選手権の混合ダブルスでは初優勝することができました。これを契機とし、活動の場を混合ダブルスへと移しています。2011年のBWFスーパーシリーズファイナルでは、男女混合ダブルスで日本人初のベスト4に進出、2012年のロンドンオリンピックにも出場を果たしました。
 2013年からは日本ユニシスとプロ契約を結び、海外の選手とペアを組んで、再び男子ダブルスの世界に戻って来ました。2015年からはスコットランドの選手とペアを組み、エボラブルアジアに所属し、プロ選手としてワールドツアーを転戦する日々を送っていました。

2003年 バララッド国際大会 第3位(ダブルス)
2006年 世界選手権大会 ベスト16(ダブルス)
2006年 ヨネックスオープンジャパン 第3位(ダブルス)
2007年 世界選手権3位(ダブルス)
2008年 全英オープン3位(ダブルス)
2008年 北京オリンピック出場(初戦敗退、ダブルス)
2008年 ヨネックスオープンジャパン ベスト8(ダブルス)
2011年 BWFスーパーシリーズファイナルベスト4(ミックスダブルス)
2012年 シンガポールオープン準優勝(ミックスダブルス)
2012年 ロンドンオリンピック出場(グループリーグ1勝2負、ミックスダブルス)
2012年 ヨネックスジャパンオープンベスト4(ミックスダブルス)
2013年 マカオGPGベスト8(ダブルス)
2014年 ヨネックスジャパンオープンベスト16(ダブルス)
2015年 ドイツオープンベスト32(ダブルス)
2015年 スイスオープンベスト32(ダブルス)
2015年 YONEX OPEN JAPAN 2015で現役を引退

世界選手権で上位入賞、海外に身を置くことで成長した。

バドミントン選手として海外でのチャレンジを続けることは、言葉や文化も違う環境で戦うことで人間としても成長できます。また、それが成功する一番の近道だと捉えています。2007年の男子ダブルスでの世界選手権3位、2011年のミックスダブルスでのBWFスーパーシリーズファイナルベスト4という結果を得たことで、毎日の積み重ねと強くなりたいという信念を持ち続けることによって、自分の想像をはるかに越えた自分と出会うことがあるのだと確信するようになりました。

ロンドン五輪後は全く引退は考えれず、年々「バドミントンが好きだ」と感じるようになってきました。でも気持ちと反比例するように、少しづつ僕の頭の中の感覚と体の反応のギャップを感じ始めました。長年できていた事が出来なくなっていく現実には寂しさも感じていました。

僕はバドミントン界のレジェンドでもスターでもありません、今までにとんでもなく貢献した先輩方は沢山います。ただ世界選手権でメダルを獲得し、オリンピックに出場し、プロになり、成功のロールモデルにならないといけないという責任は凄くあると思っていました。だからこそ、弱いところを見せず、泥臭い所を見せず、情けない所は見せたくなかった。

凄く孤独感もあり、疎外感もあり、辛い時期もありましたが、この逆境で自分がどこまで辿り着けるか好奇心も凄くありました。また、幸運にもそれを支えてくれた方々もいました。それが何よりも嬉しかったです。

「そこに少しでも可能性があるのであれば行動しよう。だって失うものなんて自分のちっぽけなプライドだけ」そう自分に言い聞かせて行動してきました。

今となってはスーパーマリオのスターの状態をいつでも手に入れる術を学んだ気がします。

父から教わったバドミントン、無邪気に遊んでいた頃が懐かしく、勝負の世界に飛び込み、オリンピックという僕からしたら雲の上の存在を体験でき、こうして35歳まで現役選手としてやってこれたのも、多くの方の支えがあったからだと思っています。

日本人初の快挙達成、競技者に留まらないマルチな活動。

海外活動で、「GO BEYOND.=超えていく」と感じたエピソードとしては、やはり日本人男子として初の世界選手権でのメダルを獲得したときのことが挙げられます。自分の限界を超えたパフォーマンスができたことで、この試合が人生のターニングポイントとなり、自分で設定していたハードルを大きく超えることができました。

競技以外の活動としては、2015年の5月にBWFアスリートコミッションという選手会組織の委員に立候補し、トップ当選を果たすことができました。日本人のBWFアスリートコミッション委員選出は初となります。選手目線での意見を反映させ、選手がプレーしやすい環境づくりを行うとともに、バドミントン選手の地位の向上を図っていきたいと考えています。

日本人初のバドミントンのプロ選手として、開拓者の道を歩んできました。BWFアスリート委員、日本リーグのアンバサダーとして今後も多岐にわた挑戦していきたいと思っています。BWF選手会メンバーとしても、常に自分を「GO BEYOND.=超えていく」活動をしていきます。

GO-BEYONDER No.022

元バドミントン選手

池田信太郎

1980年 福岡県生まれ。親が経営するジュニアクラブにて8歳からバドミントンを始める。大学卒業後「日本ユニシス」に入社し、2005年1月より坂本修一とペアで日本代表入り。2007年には世界選手権で男子ダブルス日本男子初の銅メダルを獲得。2009年潮田玲子(三洋電機)と混合ダブルスのペアを結成。8月には男子ダブルスでの坂本とのペアを解消し、混合ダブルスに専念。2012年にロンドンオリンピック出場を果たす。2015年からスコットランドの選手とペアを組みワールドツアーを転戦。同年9月に引退。

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